2007年ミャンマーデモクラシー



2007年9月30日(日)デモ行進
2007年9月29日(土)ミャンマー大使館前 デモ  WEB  blog


2007年9月30日(日)デモ行進の様子です。 ↓

9月30日、1時半に五反田南公園に集合。
思ったより大勢が来ていて、
公園は人であふれかえっている。
公園の外には入りきれなかった参加者や、
多くの報道陣が。
参加者に飲み物などを配ったりなどこまごまと
準備している。
出発前には、演説をきき、黙祷を捧げる。
この日は朝から冷たい雨が。
ときどき弱くなったり降り止んだりするが、
しばらくするとバラバラと降ってくるので
傘が手放せない。

ゆく手を阻むものか、はたまた心の雨か。
いよいよ出発である。先頭はミャンマーの僧侶。前に躍り出るカメラマン。
そして後に続く民主化活動家の各グループ。
日本人グループ…。
出発の前に、雨ではあるが傘をささずに
行進して見せよう!との話があったが
さすがにこの寒さでは傘がないと
体が冷えてしまう。
雨合羽を持っていない者は傘をさすものも。

私もはじめは傘をさして出発したが、
そのうちジャマでしょうがなくなり、
途中からサルさんの傘に入れてもらった。
しかしいつのまにか、
声をあげこぶしを振り上げしているうちに
構わなくなり、傘なしで歩き出した。
警察は棍棒で我々を制圧することもなく、
交通整理をしてくれる。
サルさんは「ケイサツも疲れるねえ」
と気遣っていたが。
延々と続くデモ隊の列。歩道橋の上には
カメラマンや報道陣がずらり!
デモ隊を待ちかまえていた。
シュプレヒコールはいとまなく行われた。
何語で話したかって?
もちろんビルマ語と、日本語です!
出発前にシュプレヒコールの文章を
書いた紙を配られていたのだ。
ただし日本語はローマ字で書かれてあり、
いささか読みづらかったが…。
そして何度も読み返すうち、雨にぬれて
ぐしゃぐしゃになってしまった。
しかし、何度も叫んでいるうち、
ビルマ語のコールまでも、言葉の意味も
発音もわからないまま周りに合わせて
叫んでしまっていた。
とうとう御殿山交番前に到着。
その角を曲がれば住宅街に入り、
大使館まで一直線だ。
行く道の先、遠くにミャンマー国旗が
高くはためいていた。

この地域は閑静な住宅街だ。
が、コールは益々激しくなり、
狭い道の中どんどん人の熱が凝縮され、
熱くなっていく。

付近の住民も、窓からデモ隊を撮影したり、
庭先に出てデモ隊を見守ったりしている。
大使館に到着。マスコミが大勢待ち受けていた。
大使館を通り過ぎ、シュプレヒコールは
いつしか、民主化運動の歌と手拍子へと
変わっていった。

デモ隊は、大使館から少し先の
公園まで歩いた。

ミャンマーのゆくえはこの先一体
どこまで、どうなるのだろうか。



 2007年9月29日(土)ミャンマー大使館前のデモの様子です。
 ↓

ミャンマーの僧侶がスピーチを。
「…あと一歩の辛抱です!」と、目をうるませながら訴えた。
日本の僧侶たちも応援にかけつける。
犠牲者たちのために読経をおこなう。
この日はアムネスティ・インターナショナルなど、いくつもの団体から応援が来た。
大使館前の御殿山通りは、案外車の量が多い。
警察はもちろん交通整理を行なっていたが、デモ主催者や参加者も車道に出ないようにお互い注意を呼びかける。
こうした呼びかけが自然になされるところにミャンマー人らしい親切な振る舞いが見出せる。
大使館前の集会も終わりに近づき、全体でのシュプレヒコールが始まった。
急いでカメラを構えるマスコミ記者たち。
さらに熱を帯びるシュプレヒコール。
曇天の中、時おり弱い雨がふりそぼったが、今日の参加者は、昨日同様200人を超えただろうか?
黙祷をし、最後には歌を歌った。
軍政幹部の写真を踏みつけにする参加者と、それをカメラに収めるカメラマンたち。

★ブログにも別の写真を掲載しています。

▲ top

■ home






inserted by FC2 system